袖振り合うも・・

秋の気配も感じられるようになった白州町ですが、いかがお過ごしでしょうか?

今年の夏は,長くお付き合いをさせていただいているOBオーナー様と私達夫婦で過ごす機会が多かったように思います。

毎年バーベキューに声をかけていただいている武川町のK様は、15年ほど前から、リフォーム工事をさせていただいています。

夏休みに2泊で我が家に滞在されたK様は、建築から、かれこれ20年以上のお付き合いです。

そして、完成から11年が経過した白州町のOさまは、偶然、17年前の建築のH様とつながりがあり、

夏の終わりに、H様ご夫妻と私達夫婦を、一緒に食事に誘ってくださいました。

 

長いお付き合いのOBオーナー様と楽しい時間を過ごしているときに、ときどき「最初の出会いはなんだっけ?・・」 と錯覚することがあります。

もちろん建築なのですが、長くなると、話題の中心は、建築から離れていくんですね。

 

O様、H様ご夫妻と、テーブルを囲んでお話をしているときも、あまりにも、お二人のお話が興味深くて、お話を聞きながら、いつものように、出会いの始まりに思いを馳せていますと、突然Hさまが、ご自分の書いたコラムを私に渡してくれながら「袖振り合うも他生の縁」というお話をしてくださいました。

 

てっきり、袖が触れ合うのも多少は縁があるんだよ、という意味だと思い込んでいたことわざは、

「袖振り合うも」「他生の縁」なのだと教えてくださいました。

つまり、こうやって袖を振り合うようなお話の関係でさえも「他生」、他の違う生からのご縁があるんだよ、というのが、本来の意味なんだそうです。

多少の縁と他生の縁、似てはいますが、この違いは大きいですね。

きっと学校の先生も、輪廻なんていう宗教観を学校で子供たちに説明するのは面倒だったんでしょうね。

 

長くお付き合いいただいているOBのオーナー様との間に感じる、とぼけた感覚の、「出会いの始まりは?」の答えが、「この生ではないんだよ」という、想定外の深い答をいただき、また、その答えが、テーブルを囲むその場の空気にぴったりで、少しぞくっとしてしまいました。

 

多少と他生・・この違いに、早く気がつけて良かったと思います。

 

他生のご縁にも、思いを馳せつつ・・・

みなさま、それぞれに楽しい時間をありがとうございました。